菊池武光生誕700周年記念『菊池一族ウォークラリー』をご存知ですか?
私が知ったきっかけは…『菊池観光交流館』
『菊池一族ウォークラリー』のポスターを発見!
菊池一族のゆかりの地を巡って、スマホでQRコードを読み取って画像ゲット!
これだけでも面白そうなのに、集めたた画像で景品がもらえる!
それも菊池一族の家紋と当主の花押(かおう)がプリントされた『THERMOSのマグボトル』凄い魅力的!
その他にもマグカップや缶バッチ、箸等々
『THERMOSのマグボトル』ゲットは、32箇所すべてコンプリートで貰えるらしく、これは参加し、菊池一族の歴史に触れるいい機会になりそうだと考え、令和元年5月に入り行ってきました。
『菊池一族ウォークラリー』のスタート方法や、自分で巡ってわかりにくかった箇所や、気づいたこと等々を書いてみました。
菊池一族とは?
熊本県北部(現在の菊池市)を中心に、平安時代後半から室町時代にかけて(約450年)24代にわたり活躍した武士の一族。
最盛期には、九州一円に影響力を及ぼすほどの勢力を持った菊池氏。
日本全土を舞台にし、公家と武家が権力を争った時代に、菊池の名は日本中に鳴り響き、源氏物語、蒙古襲来絵詞、太平記など、有名な書物にも足跡を刻まれており、九州の一大豪族でした。
また、菊池川により海外と交易を行い財を成し、武士に対し文教を広めるなど、菊池市のみならず周辺地域に繁栄をもたらしたとして、今なお地元の人々に深い敬意と親しみを持たれている。
菊池氏二十四代
菊池一族の名前がわかるように、『ふりがな』を付けてみました。
参考にどうぞ!
初代 | 則隆(のりたか) | 9代 | 隆泰(たけやす) | 17代 | 武朝(たけとも) |
2代 | 経隆(つねたか) | 10代 | 武房(たけふさ) | 18代 | 兼朝(かねとも) |
3代 | 経頼(つねより) | 11代 | 時隆(ときたか) | 19代 | 持朝(もちとも) |
4代 | 経宗(つねむね) | 12代 | 武時(たけとき) | 20代 | 為邦(ためくに) |
5代 | 経直(つねなお) | 13代 | 武重(たけしげ) | 21代 | 重朝(しげとも) |
6代 | 隆直(たかなお) | 14代 | 武士(たけひと) | 22代 | 能運(よしゆき) |
7代 | 隆定(たかさだ) | 15代 | 武光(たけみつ) | 23代 | 政隆(まさたか) |
8代 | 能隆(よしたか) | 16代 | 武政(たけまさ) | 24代 | 武包(たけかね) |
散策スポット
『菊池一族ウォークラリー』なので、歩いて巡るのがベストでしょうが、参加方法は自由です。
また、どこからスタートしても大丈夫です。
菊池25箇所に加え、今回は七城が7か所加わるので、流石に歩いて回れませんので、私は車で参加してみました。
それと私は、ブログに書くことを前提として参加したので、写真を撮ったり、QRコードがない所も行ったりして、時間で言うと、二日程かかりましたが、場所が判れば、一日で巡り事も可能でしょうが、菊池一族の足跡や歴史を感じながらの散策がおすすめです!
※位置がわかりやすいように、時々文字にGoogleマップでリンクできるようしています!参考にお使い下さい。
菊池武光公騎馬像
きくち観光物産館内にQRコードがあります。
最初、ここから絶対スタートだと思い込んでいた私、サイトも見らずに勝手に菊池武光公騎馬像の周りを探し大変でした…
平成4年完成、九州の北朝方を一掃し、百戦百勝の勇将と讃えられました。
軍配を振りかざし、鋭い視線を送る先は、大宰府だそうです。
完成後、菊池市のシンボルとして親しまれ、私も知らなったのですが、日本では、一番大きな騎馬像だと聞きました。
菊池観光交流館
【菊池市ふるさと創生市民広場】内にある、きくち観光物産に隣接する『菊池観光交流館』平成31年4月1日リニューアルオープンしました。
以前は菊池夢美術館と言われていました。
菊池観光交流館と、きくち観光物産館の間には菊池温泉の源泉『足湯』があります。
ウォークラリーで疲れたら、ここで足湯につかるのもおすすめです。
きくち観光物産館の詳細は↓
将軍木
菊池神社の正門第一鳥居のある前の道、『御所通り』なので、すぐわかります。
近くには菊池高等学校、前には『菊池松囃子能場』があります。
また、わいふ一番館もこのすぐ隣です。
熊本県指定天然記念物(椋の巨木)
菊池松囃子能場
将軍木の前に位置します。
菊池神社秋季例大祭の初日である10月13日、国の重要無形民俗文化財である「菊池の松囃子(御松囃子御能)」が、征西将軍懐良親王に見立てられた将軍木(県指定天然記念物)の前の菊池松囃子能場で奉納されます。
わいふ一番館
『まちかど資料館』『まちづくり寄合所』の二つの施設で構成されています。
「わいふ一番館」は市内のアーティストや作家による作品を展示するギャラリー。
「まちかど資料館」は菊池の地名の由来、歴史、伝統、文化産業、菊池一族などに関する民俗学上貴重な資料を収集、保管、展示している。
2階では菊池市に関する企画展を随時開催されています。
私は、『吊るし雛』や『写真展』でお邪魔したことがあります。
QRコードは入口にあるので、もし定休日だったとしても大丈夫ですよ!
菊池武光公墓所熊耳山正観寺
菊池に住んでいて、こんな素敵なお寺があった事も知らなかった…
どこにQRコードがあるのかちょっと迷っていたら、犬の散歩をされていた方が、教えてくださいました。
なんと住職さんでした!!!
正観寺の樟はお寺の中にあります。
お寺の中はとても綺麗に掃除されていて、お寺の境内に一歩入ると心が洗われる様なそんな新鮮な気持ちになります。
ここには熊本県指定天然記念物である、『正観寺の樟』があります。
正観寺は、かつてこの地で栄えた菊池一族の菩提寺で、興国年間(1340~1345)に肥後守菊池武光によって創建されたものである。武光は、南北朝の戦乱時代に征西将軍宮懐良親王を奉じて活躍した南朝の武将である、そしてこのクスノキは菊池武光の墓標として植えられたものと伝えられ、樹下には天明2年(1782)に建てられた武光の墓碑がある。
菊池武光公墓碑↓
菊池能運公墓所
菊池グランドホテルの横にある、『菊池能運公墓所』
菊池能運(きくちよしゆき)は、玉名の高瀬での、叔父『宇都為光』との戦いがもとで、隈府城で病床にあったが、病状が好転せず、永正元年、23歳の若さで永眠。
遺体は、隈府正観寺の桐の木の実相院に葬られ、菊池氏の正統は22代で絶えた。
菊池武重公墓所
輪足山東福寺のすぐ近くにある『菊池武重公墓所』
輪足山東福寺から下を見下ろすと、見ることができます。
すぐ近くなのでわかりやすいと思います。
輪足山東福寺
菊池グランドホテルのすぐ横の『菊池能運公墓所』を通り過ぎ、まっすぐ進むと、暫くすると、『輪足山東福寺』の階段下にたどり着きます。
駐車場が2台置くスペースがあります。
手前道沿いににも、車2~3台置けるスペースがあります。
※駐車違反にならない様気を付けてください。
創建は天慶元(938)年とも言われている古い寺で、菊池代15代武光公の時に菊池五山の一つに定められました。現在の本堂は江戸時代後半に建て直されたもので、境内には菊池の一族として活躍した武村(10代武房の子)と覚勝(12代武時の弟)の墓などが並んでいます。
頼山陽の詩碑(城山公園内)
菊池武時公騎馬像
菊池神社
『菊池一族ウォークラリー』でまず最初に画像をゲットした場所になります。私は、菊池神社からスタートしました。
菊池神社は、明治3(1870)年、菊池一族が本拠地とした守山城(菊池本城)のあった場所に建てられた神社で、12代武時、13代武重、15代武光が主祭神として祀られ、16代武政以下一族26名が配祀されています。
敷地内にある歴史館には、菊池一族や松囃子能(国指定重要無形民俗文化財)に関わるものなど、数多くの貴重な資料が展示、収蔵されています。
雲上宮
雲上宮神社は、菊池神社の裏の駐車場からなら歩いて行け様です。
『菊池一族ウォークラリー』なのに、私は車で移動したので、見つけるのに苦労しました。
住所【〒861-1331 熊本県菊池市隈府1456−1】
車で行くと、菊池北中学校のグラウンドを左手に見ながら、少し行くカーブ手前に左へ曲がる道があるのでそこを左折、住宅地なので、駐車禁止の看板が至る所に書いてありますので、駐車には気を付けて!
菊池神社の北の丘に、懐良(かねなが)親王と良成(ながなり)親王の居城があったと伝えられています。昭和45年、懐良親王、良成親王をお祀りするため雲上宮(くものへぐう)が建てられました。
孔子堂跡
菊池ふるさと創生市民広場を右手に見ながら、竜門の方角(県道133号線)へ向かうと『清流荘』手前左側に『孔子堂跡』へと看板が見えてきます。
菊池氏累代中最も文教の高揚をみた文明四年(1472)21代重朝公は、父為邦公や隈部忠直公に諮って、孔子と門人の十哲の像を祭る孔子堂をこの地に建てました。当時日本一の学者と言われた京都南禅寺の柱庵禅師も、学問の盛んな菊池の噂を耳にして訪れたというほどで、同九年孔子堂において釈奠の礼を行い、同十三年には重朝公が催した連歌の会をここで催し、句が一万句に及んだので『菊池万句』と呼ばれています。
隈部忠直観音堂
『孔子堂跡』から出て県道133号線を『清流荘』の方角へ進み、暫くすると『前田橋』(薬師寺温泉の看板)が見えるので、そこから左へと進むみ、左カーブを道なりに進むと、隈部忠直観音堂への標識が見えるので進んでいきます。車は一台しか通れないスペースです。
最近舗装され、車が通れますが、離合は難しいので、運転に自信がない方は、歩かれた方が良いかもです。
菊池為邦・重朝公墓所(玉祥寺)
江月山玉祥寺 私が伺った時は、丁度新緑の季節で、ちょっと長い階段でも、登る度に、清々しい気持ちになり、境内に着くまで胸が弾みます。
境内に入ると、紅葉が花をつけてて凄く綺麗でした。
菊池ってほんと素晴らしい!
『菊池一族ウォークラリー』が終わってもまた訪れたい箇所です♡
江月山玉祥寺と梵鐘
玉祥寺は享徳元年(1452)菊池二十代為邦によって開かれたが、寺内には為邦と二十一代重朝の墓、宝篋印塔が並び建っている。共に菊池氏の文教を世に高めた功績は大きい…</d
二十代為邦公も、跡を継いだ二十一代重朝公も父に似て学問好きだった様です。
袈裟尾山北福寺
『肥後国誌』によると、初めは弘仁四(813)年に伝教大師(最澄)に創建され永福寺と称したとあり、菊池氏十五代武光により菊池五山が定められた時に北福寺と改目られました。本尊は薬師如来で、本堂裏手の林の中には多くの五輪塔や、礎石に使用され大使が遺されています。
九儀山大琳寺
『肥後国誌』によると、もとは禅寺で開基年代は不明とあります。菊池市十五代武光公により菊池五山が定められたときにその一寺とされったそうですが、現在は観音菩薩が祀られています。はじめは現在地より南の『古堂』と呼ばれる地にあったそうですが、宝暦五年(1755)の大風で倒壊し現在地に移されています。
菊池則隆公墓所
藤原則隆は、大宰府天満宮領赤星荘園の荘官として、延久二年(1070)この肥沃で水運の便のよい菊池平野の一角、深川に拠って居城を構え、地名をとって菊池を氏とした。深川は穀倉地菊池の中心であり、当時は佐保川から菊池川本流に通じる交通の要衝でもあったので、この地を拠点に勢力を伸ばし、早鷹天神(菊池市赤星)・老松天神(西合志町弥生)・山崎天神(熊本市)・田口天神(甲佐町)および玉名市の川崎・高瀬・津留の天神を勧誘した……則隆の墓は文化十五年(1818)に創建され、明治・大正の工事を経て現在の状態になった。
菊之池跡
菊池初代則隆が菊池に下向したとき、この深川に館を構えた。『菊池餘芳』によれば・・・深川村に広大な行けあり、基形花様をし、池辺一帯花乱開して紅白爛漫たり。則隆公即ち名付けて菊の池と称せり。且つ此池の池水漫々として漲り、旱魃の際河水乾涸するも池水は尚涸るることなく郡中の田を濕せり。
是れ当家を起こすの吉瑞なりとて則隆公即ちシヲ菊池と改め、其城郭を菊の城と称し、郡も菊池と称えたりと云ふ。とあるが則隆が菊池に下向してから千年近くを経った。現在は水は涸れ周囲の環境は変わって、昔をしのぶことは出来ない。ただ地名だけは『菊乃池』として残り、この地区の小学校の名称も『菊乃池小学校』と呼ばれ昔の面影をとどめている。
手水山南福寺
菊池でもちょっと離れた場所に位置します。
国道387号線を菊池市花房の坂を下り、花房小学校の方角へ曲がり暫く行くと右に曲がり、しばらく進むと、手水山南福寺があります。
住所は菊池市出田になります。
【市指定文化財】菊池氏第15代菊池武光が五山を定めたとき、その一寺となる。「菊池風土記」によれば、もと天台宗であったが浄土宗になるとある。本尊は薬師如来坐像で、周囲には五輪塔の残欠が散在している。境内には武士たちが馬をつなぎとめたとされる「駒留めの桜」がある。
無量山西福寺
菊乃池跡から国道387号線を左へ、すぐに左折すると、暫く道なりに行くと突き当りに、無量山西福寺 があります。
西福寺に行く途中、以前から気になっていたお店を何件か見つけました、また手前には八坂神社もあります。
この寺は、和銅二年(709)の開基と伝えられ、西寺と言う地名の語源とも言われています。もとは禅宗でしたが、のちに浄土宗になっています。菊池市の十五代武光により、菊池五山に定められたときにその一寺とされました。本尊は阿弥陀如来で、室町時代末期の制作と推測されます。墓の裏地には十代武房の弟赤星有隆の墓があります。
残念ながら、墓は見てません。
八坂神社
無量山西福寺に行く途中に延寿太郎屋敷跡があります。
2017年に始まった『菊池一族と延寿鍛冶展』が今年も開催中の時期に訪れたので、のぼり旗がたっていました。
菊池氏に刀鍛冶として支え、延寿の祖となった延寿太郎国村が、砂鉄の採取や用水・交通の便が良いなど、製鉄に適していたここ西寺に屋敷を構えました。延寿は岡田貫と共に肥後に於ける代表的刀工で、後に『菊池千本槍』と呼ばれる槍を作っています。延寿の他にも砂鉄採取やたたら(製鉄)の技術をはじめ、研師・鍔の細工師等の技術者も来住し、刀工村としての形態を整えていきました。延寿一族は、この屋敷を本拠地として二百数年間にわたって栄えて来ました。現在は八坂神社が建てられ、父弘村(菊池延寿)と共に、延寿大明神として祀られています。
神尾城跡
ここがまた凄くわかりにくい…
グルグル回って結局、以前ブログに書いた『Locky leather works』さんの近くなので、教えて貰っちゃいました…
台城跡
台城(うてなじょう)と読みます。
ここもかなりわかりにくかったです。
増永城跡
西郷南洲先生祖先発祥之地碑
正光寺城跡
打越城跡
亀尾城跡
住所【熊本県菊池市七城亀尾】に前川水源の上にあり、最高に見晴らしのいい場所です。
車で行くと遠回りをすることになるので、前川水源に車を停め、そこから徒歩で、階段と坂を登るのがおすすめです。
亀尾城跡(菊池十八外城)
城は菊池川と花房台地を流れる迫田川に挟まれた台地の北端にいちし、菊池平野を一望する要地で、主に熊本・合志方面に備えたものです。古文書には『坂井城』と出ていますが、いつのころからか『亀尾城』と呼ばれています。鎌倉時代相良一族がこの地を領して『坂井城』をとなえ。菊池氏の配下にありましたが、その後関部氏の名が見えます。状の中心城は二つあり、一つは社殿のある『尾形跡』と、もう一つは『肥後国誌』に言う『丸城跡』であり、これを取り囲むように堀・土塁・曲輪・整堀・大壕などが構築され、山城の形態をそのまま留めています。この地は戦略上の用地であることから板井原の戦い(1379)などの激戦ちでもありました。また菊池氏攻略の基地として、九州探題今川了俊・弟仲秋などが万を超える軍勢を二ヶ年駐屯させ、板井の陣(1379)張った城でもありました。
北宮阿蘇神社
天授四年(1378)菊池氏の十六代武政が阿蘇大明神を勧請(十七代武朝勧請の説あり)し、菊池の郷社として創建された神社です。天成七年(1579)本殿と拝殿は島津軍によって大きな被害を受けましたが、桜門は災禍を逃れています。また社宝として納められている木造男女神座像は、県指定伝征西将軍宮軍配扇は市の指定文化財になっています。
菊池持朝公墓所(光善寺)
室町時代の永享三年(1431)父である十八代兼朝に変わって、持朝は十五歳で家督を継ぎ、菊池十九代惣領となり、肥後守となりました。このころ九州の筑前に攻め入った中国の大内家や豊後の大友家では、家督をめぐって争いが起こるなど、九州では激しい合戦がくりかえられていました。大友親綱は持直との争うに敗れ、菊池に身を寄せています。将軍足利義教は、大内盛見の後を継いだ特世に協力して、大友持直と戦う事を親綱と親綱を援助する持朝に要請し、持直がもっていた筑後守護職を与える事を約束しました。開幕以来、菊池氏が足利幕府の要求に大路て行動を起こした最初のものです。永享四年(1432)幕府は筑後守護職を持朝に与えましt。肥後・筑後の守護として安定した勢力を保持してきた持朝でしたが、文安三年(1446)七月二十八日三十八歳で死去しました。
散策モデルコース
3.5Kmコース
この3.5kコースなら、簡単に短時間で巡れるかと思います。
でも景品は10画像になり、①ポストカード②しおり1枚or缶バッチ一つになります
10Kmコース
菊池観光交流館で頂き、この地図を見ながら行きました。
※10Kコースの中に『西覚寺』がありますが、ここはコース内から外されていますので注意が必要です。
私は、知らないで『西覚寺』でQRコードを探して凄く時間が掛かりました。
でも、『西覚寺』はとても綺麗なお寺でしたので、目の抱擁になりましたよ。
庭も綺麗で、丁度庭師さんが数名で庭の手入れに来ておられたので、QRコード探す為、お寺の方に聞いて下さりお手数をかけてしまい、凄く申し訳なかったです。
10Kコースでは、歩いて回れる範囲で20画像で、①ポストカード+②しおり1枚or缶バッチ+③クリアファイル1部orピンバッチ④箸一膳orノート1冊ですかね?
やはり『菊池一族ウォークラリー』に参加するなら、マグボトルはとりましょう!
おすすめコース(コンプリート最短コース)
- 菊池武光公騎馬像
- 菊池観光交流館
- 将軍木
- 菊池松囃子能場
- わいふ一番館
- 菊池武光公墓所
- 菊池能運公墓所
- 菊池武重公墓所
- 輪足山東福寺
- 頼山陽の詩碑(城山公園内)
- 菊池武時公騎馬像
- 菊池神社
- 雲上宮
- 孔子堂跡
- 隈部忠直観音堂
- 菊池為邦、重朝公墓所
- 袈裟尾山北福寺
- 九儀山大琳寺
- 菊池則隆公墓所
- 菊之池
- 手水山南福寺
- 無量山西福寺
- 八坂神社
- 神尾城跡
- 台城跡
- 増永城跡
- 西郷南州先生祖先発祥之地碑
- 正光寺城跡
- 打越城跡
- 亀尾城跡
- 北宮阿蘇神社
- 菊池持朝公墓所(光善寺)
菊池五山巡り
征西将軍懐良親王の命により、菊池氏第15代菊池武光が、京都五山にならって定めたとされる。
五山の上には熊耳山正観寺が置かれた。
菊池五山は、菊池氏の繁栄と共に栄えたが、菊池氏が衰退すると寺勢も衰えたという。
近世に入ると、東福寺は旧の天台宗に復し、北福寺は真言宗へ、西福寺は浄土宗へと転じた。
輪足山東福寺
手水山南福寺
無量山西福寺
九儀山大琳寺
袈裟尾山北福寺
鳳儀山聖護寺
『菊池一族ウォークラリー』QRコードがある場所ではなかったのですが、『聖護寺』竜門ダムの近くにあると地図に載っていたので、時間もあったので、軽い気持ちで行ってみたくなり竜門ダムの方へ…
流石に、GoogleマップをiPhoneで開いて行くことにしたのですが、県道133号線に入り迷うこと1時間…
やっと聖護寺へと言う道案内発見!
これより2キロ…(ここ何度も通ったのに看板見えてなかった)
国道133号線の『中山トンネル』を過ぎ橋があるのでそこを右折したけれど…またぐるぐる回ってたどり着かなくて…
それでも諦めきれなくて、通りがかった近所の人に聞いてみた。
どうにかこうにか、たどり着いた。
車一台がやっと通れるような道もあって(間違たところを通った様子)
後で考えると、よくこんな山奥まで来たなぁ~~と自分に感心する。
そして、そんな思いでやっと到着した『鳳儀山聖護寺』
円通寺
菊池市旭志にある『円通寺』
円通寺は寺伝によると、菊池氏初代藤原則隆永久年間(1069~1074)に山城国の円通寺から本尊を移し開いたという由緒ある名刹である。この石門は円通寺の表門にあたるが、これは天保(1830~1844)頃この寺を復興した自忍和尚により造られたものと考えられる。石門の総巾は5.4メートル、総高3.9メートルでアーチの部分は巾2.68メートル、高さ1.86メートルである。輸石の周りに切り石を積み上げその上に寄棟造の屋根を載せた、形の素晴らしい唐風の石門である。石門は県内でも少なく、江戸時代の文化、技術者をしるうえでも貴重な物である。円通寺の石門は熊本県指定重要文化財
ここも『菊池一族ウォークラリー』のQRコードは無いのですが、行ってみたかったので行ってきました。
『円通寺公園』は広く、また行き、記事に出来たらと考えてます。
景品
5画像→ポストカード
10画像→しおり1枚or缶バッチ
15画像→クリアファイル1部orピンバッチ
20画像→箸一膳orノート一冊
25画像→トートバックorマグカップ
32画像→マグボトル
私が頂いたもの↓
菊池一族と延寿鍛冶展
丁度、私が『菊池一族ウォークラリー』を始めた日は『菊池神社』で『菊池一族と延寿鍛冶展』があってたので、見に行ってきました。
3月23日から開催されていて、気になっていたのですが。
結局、5月12日迄ということでギリギリ5月に2回足を運んできました。
余り刀の事はわかりませんが、きっと切れ味は抜群なんでしょうね…
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